作り手のメッセージを込めた「極まることがない食への希求」を無添加練り製品で伝え続ける。震災後を生きながら、新たな復興ステ-ジを目指して。
代表取締役 髙橋 英雄さん
当社の創業は明治38年、業種は「魚肉練り製品水産冷凍食品の製造・販売業」になります。水産加工品をメインに、60年前に練り製品製造を始めました。以前は大手の請負もしていましたが、コストを下げるために合成添加物を何の疑いもなく多用する市販品の現状に疑問を感じ、学校給食の受注で出会った栄養士さんや生活協同組合との出会いから、添加物の怖さを教わり、40年前、当時の市販品では無かった無添加練り製品の製造をはじめました。
無添加で製造するには、単純に添加物を排除するだけではうまくいかず、美味しいものができない、売れないという時期もありました。それでも、経済優先でなく、作り手の思いや環境・健康の問題を提起し、食べた人に感動を伝えられる本物の無添加に挑戦し、初めて添加物の一切無い製品ができた出荷の時は大型トラックで一台、全社員が拍手し手を振ってトラックを見送りました。
今では生活協同組合をはじめ、無添加・自然食にこだわる販売先の方々に思いを共感いただき、全国の食卓に届くようになりました。生活協同組合とは、ただの取引の関係ではなく、消費者が食の奥深さに気づき、その背景にある水産資源や環境、食を餌化するごまかし食品の氾濫、価格形成も含め共に社会問題や持続的社会を考える消費者との関係をつくろうと、共に製品企画を続けています。
無添加で美味しい練り製品を生み出すポイントは「素材を愛し、素材を生かす」ことです。素材の味に勝るものはなく、当社は目利きが全て確認可能な100%国産の原料にこだわることはもちろんですが、加工で魚市場の魚介類など魚自体の味を生かすことに細心の注意を払い製造しています。毎朝全社員による試食を行い、味の確認をして特に震災後1600日を超えています。素材の力を引き出した練り製品を作るための味・品質の“口に入れ飲み込むまでの一品ずつの設計図”が、社員の肌に染み込んでメッセ-ジが感じられるようにとこだわりを超えています。天然物の原料との終わることがないせめぎあいが続いています。
東日本大震災では、当社も社員も大きなダメージを受け、生き方も変わったと思います。自分の生き方、会社の存在意味など三工場の惨状を前に再開は悩みました。震災前を越える組織になろう、震災前をはるかに越える食品を生み出していこうと、社員一丸となり、丁寧に無添加製品作りに取り組んで楽しく悩み、考えるスタッフが育っています。新工場では自家発電機と併用して売電しない太陽光発電を活用し、工場内外を精製井戸水で賄い食料なども備蓄し、地元の東松島市とは災害協定を結んで、非常時には近隣住民の避難場所として機能できるようにしております。この地で真に必要とされる会社になるため平成30年3月には野菜工場が立ち上がり、働く人は二-ト引きこもりの若者たち、全国でワーストワンの当地の不登校児の今の姿です。担うのは、直接間接被災したからこその温かさを持つ自慢のスタッフです。
まだ復興は道半ばですが、今だけ、自分だけ、お金だけといえるこの社会で、時代遅れかもしれませんが、ゆっくり、地域の力になり、笑顔になり、自ら光になる会社とスタッフとなれるよう、目指していきます。シンパシ-は震災を我がこととしている全国の皆さんに拡がっています。お互いにゆっくり素敵な関係に育てていきたいと思います。

ひとつひとつ丁寧に品質を確認しています。

被災した工場の鉄骨をそのまま移管したモニュメントと
宮城県内の生協からの基金で建てたレンズ風車。

震災後に建設した新工場。太陽光や井戸水を使い、環境にも配慮した工場で、非常時には避難場所にもなります。右下屋根は野菜加工工場です。